Drawing Lines on the Sea / 海に線を描く
2024, Photographs: 3 light boxes with colour transparencies
Cooperation: Kazuya Matsuhashi
English Statement
While kayaking across the sea, I notice that invisible lines divide it—ranging from vast national borders and exclusive economic zones to smaller boundaries defined by local communities.
We draw these lines to prevent conflicts, yet many issues arise precisely because of them. Unlike on land, the lines at sea are invisible. Isn’t it natural, then, that they lead to problems? This made me think about ways to visualize these unseen boundaries.
日本語ステートメント
カヤックで海を移動していると目には見えない線が引かれていることに気が付く。国境線や排他的経済水域などの大きな線から、地元のルールによって引かれている小さな線まで。
私たちは問題を起こさないために線引きをする。しかし、線引きをしたことによって引き起こされている問題も多くある。ましてや海に引かれている線は目には見えないのだ。問題を引き起こしてしまうことは当然のことと言えるのではないだろうか。私は目には見えない線を可視化してみようと思った。
制作ノート
2月に松橋くんと海に行った。風速は10mを超えていて、海にはうさぎが飛んでいた。小さな岸辺でドライスーツを身に纏い、20mのポリエステル製ロープを担ぎ岩場を超えて海へと入る。ドライスーツの中にフリースやタイツとかを着込んでいたけれど、ドライスーツ越しに伝わる海水温は冷たく、私の体温はすぐに奪われる。青色のキャンバスには際限がなく、私が泳ぐ度にドローイングラインは伸びていく。
人々が「海に引いている」という見えない線は、物理性がない故に頭では海上に固定されていると考えられている。だけれど、途切れない南風が海の形を変え、私が引いた線も海の動きに合わせて変化していった。そう、物理的に引かれた線は海上で同じ位置に留まることは一切ない。何かと何かを分けるために引いている線は、その役割を失う。いや、そもそも海上に線を引くことなんて不可能なのではないかと私は考えていた。もし、線を引くことが不可能なのであれば、私たちが引いていると思っている、あるいは考えている、観念的とも言える線とは一体何なのだろうか。